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働くクルマ [映画やドラマ (アメリカ以外のやつ)]

『いのちの食べかた』
2005年オーストリア、ドイツ/監督:ニコラウス・ゲイハルター
http://www.espace-sarou.co.jp/inochi/

日々私たちが口にしている農作物や食肉類。普段目にすることの無い、実際の生産工程とは果たして…というお話。

名画座の早稲田松竹にて、『アース』と二本立てで上映されていたドキュメンタリー。オーストリアの普通の映画がどんなもんなのかはちいとも知らないけど、この映画は非常に淡々としておりました。そう、淡々とし過ぎていたのです。マイケル・ムーアの真逆と言えば分かりやすいかしらん。

90分ぐらいの上映時間中、情報源はひたすら続くドキュメンタリー映像のみで、文字情報はいっさい無し。つまり、豚や牛の解体現場や農作物の収穫現場などの映像はバラエティー豊かにたくさん出てくるものの、それについてのナレーションはもちろんのこと、いま何の生産過程なのかだとか何の検査をしているシーンなのかとか、そういう説明が全くないもんだから、ほんとに何やってるんだか分からない場面もいくつかありました。これはさすがに不親切だと思った。同時にやっていた『アース』が誰にでも分かるように作られていただけに余計そう感じたのかも。

もしかしたら監督はそういった説明を敢えて排除して、極力客観的な姿勢を貫こうとしたのかもしれない。私は食べ物が作られる過程をお見せします。あとはあなたが考えてください、みたいな。でもね、生産現場で働く人たちが食事をするシーンがなんかところどころで出てくるんスよ。これもセリフなしですけど。で、そのシーンの入れ方がいかにも主張ありげっつうか、思わせぶりっつうか、「らしい」雰囲気を漂わせてるわけです。もう、言いたいことあるなら言えばいいのに!わたし、貴方のそういうところが嫌なのよッ!
ただ、これは「ちょっと鼻についた」程度のことで、映画全体のレベルとしてはそんなに低いものではなく、まあ許せる範囲。

映画の撮り方とは別に、テーマ的なことについて。
もしこの映画に主張のようなものがあるとすればの話ですけど、それはたぶん「現代の食べ物がいかに合理的・機械的に作られているか君たちは知ってるかい?」ということかしらと思った。農作物は農薬ガンガンかけて、機械でじゃんじゃん収穫。牛や豚や鶏はスピーディーにざっくざく解体。流れ作業でたくさん仕上げる。
上述のように、この映画はそういった姿勢を非難するとかそういう素振りはなくて、ただ生産の現場は実際こうなってんですよーって伝えてるのは良かった。それを観て、たぶん「ああ、なんて命をそまつにあつかっているんだろう。これからはもう少し大切にしようとおもいました」っていうのが小学生の感想文なんかではありそうなんだけど、もう汚れっちまったおじさんにはいまいちピンとこなかったのが正直なところ。もちろん動植物の存在や命を軽んじていいわけないけど、それがもし現代の人間社会、もっと端的に言えば人間のお金儲けというシステムに組み込まれてしまった場合、生産性・合理性を追求した結果こういう形になるのはある面において仕方ないことなのじゃないかしらんという刹那的な感想をもったのです。こういうのダメかなぁ。非人道的かなぁ。

もし人間が太古のムラ社会にでも一斉に戻ることができて、自分の食べ物の生い立ちを自分の目で見ることができるようになるならば、生命に対する畏敬の念を取り戻せるかもしれない。でも、現実的にはそれが不可能どころか、この合理性追求っていう人間社会の方向性は今後も加速する一方だと思う。だからこそ今ここで、食べ物の生い立ちをみんなが知る必要が…って、ああそうか!この映画の役割はそこかよ!なんだよ~、早く言ってよニコラウスちゃ~ん。

結局のところ、映画の撮り方としてはちょっとアレなところもあるし長さも60分ぐらいで十分だったけど、観ておいて損はないと思った。かといって得するかは微妙ですけど。あと、枝になった実を人為的に落とすために何かの木の幹をアームで掴んでブルブルブルーって物凄い勢いで揺らす車が出てきて、そのアーム部分がサイバーパンクっぽくて超カッコいいです。
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