『アバター』(3D)
2009年アメリカ/監督:ジェームズ・キャメロン
http://movies.foxjapan.com/avatar/

人類より遥かに優れた身体能力をもつ「ナヴィ」という先住民族が暮らす星「パンドラ」で、人間たちは貴重な鉱物資源の採掘を目指していた。しかし、パンドラの大気は人体には有害なため、人類は「アバター」と呼ばれるナヴィ族そっくりの生命体を作り出し、それを遠隔操作するという手法をとる。戦傷により下半身不随の身となった元兵士のジェイク(サム・ワーシントン)もアバターの一人をコントロールする任務につくが、原始的な生活をおくるナヴィ族と触れ合いを深めるうちに、人類の計画に疑問をもち始め…というお話 (あんまり上手くないまとめでごめんなさい)

ユーと同じくミーもハーなものだから、みんなに乗り遅れまいと、話題沸騰中のこの映画を東京・豊洲のユナイテッドシネマにて先月観てきました。もちろん3Dです。土曜だったし、さすがに混んでたねー。

さて、感想です。正直に言っていいですか? ああ、誰も読まねえから勝手に書けよ馬鹿ですよね。すいません。最初は噂の3Dを含めた映像すべてに目を見張り、技術の進歩におしっこを漏らしながら、それが乾くか乾かないかのうちに映画そのものに飽きて、後半は一人ダレまくってました。160分もやる必要ないよー、もっと短くていいよー、生乾きのズボン気持ち悪いよーと。決して駄作だとか観る価値なしとかではなく、一本の映画として面白いとは思うけど、1回観れば(体験できれば)充分。個人的な感想では、そんな作品でした。

まず、映像技術はすんごいです。『アバター』に始まったことではないとは思うけど、もうどこからどこまでが実写でどこからがそうでないかは、節穴のようなオレの目では少なくともまったく分からない。たぶん表現できないことはないんじゃないのかと思わせるぐらいでした。これは『ターミネーター4』でも感じたことで、特に空を飛ぶ(架空の)戦闘機や人間が操作する馬鹿でかいロボットなど、いままではアニメぐらいでしか表現できなかったようなことが、さも自然に映像に溶け込んでいる。陳腐な表現で申し訳ないこってすけど、映像による無限の可能性を感じさせてくれます。

でも、もう何から何までコンピューター処理されていて、もう人間が要らないんじゃないかなーとも思った。製作過程を想像するに、CGの中で、役者たちがちっこくなって演技している感じ。「この素晴らしい演技は、この俳優ならでは!」とか、そういう素朴な感動はどんどん薄れていくのだろうな。まあ、ここらへんは技術革新についていけないおっさんのたわ言だと思ってスルーして下さい。写真が動いて映画になったとき、映画の役者が初めて「しゃべった」とき、初めて色がついたときにも、同じようなこと言ってたおっさんがきっといっぱいいたに違いないから。

それに、やっぱり3D。他の多くの人と同じように、オレも「バイーンって映像が飛び出してきては観客がオワーってのけぞる」式(?)の、いわばディズニーランド(orシー?)のアトラクションみたいな立体映像を想像してましたけど、どうやらちょっと、いやだいぶ違いました。そういうのはもはや旧世代なのかな…。とりあえず今作のは奥行きを感じさせる、文字通り「立体」的なのね。ちょっと分かりづらくてすいません。昔ながらのが「ムリヤリ楽しませる」とすれば、今のは「人間の目で見たままを追求する」ような感じ。で、それもやっぱり良かったと思う。従来の普通の映画をあえて2Dと呼ぶならば、3Dは2Dと比べて臨場感が桁違い。観客をして、作品世界に対して、より没入させる効果をもたらしていたように思います。

ただ、重たいメガネがけっこう煩わしいけどね。あと、劇場のわりと後ろのほうで観たせいか、スクリーンとそうでないところの落差がいつも目に入ってきてしまって、もし3Dを楽しむのならもっと前方でスクリーンの端が見えないところのほうが良いのかもと思った。ただ、それをさっぴいても、やっぱりすごかったです(でも、これは後で新聞で読んだんだけど、「3D映画の上映には少なくとも4方式あり、それぞれ見え方が多少違う。『アバター』の場合は、IMAXという方式が最適で、細部まで立体感のある映像を鑑賞できるらしい」とのこと(2月7日付サンケイエクスプレスのコラムより)。いま見てみたら、豊洲のユナイテッド・シネマはたぶんIMAXではない)。

そんじゃあ、なんだってこいつは文句をつけているのでしょうか。何が気にくわないのでしょうか。
それは結局のところ「お話」、映画のストーリーに興味を感じられなかったし退屈だったから。それどころか、なんとも上手く言えないのですが、ある種の説教臭さを覚えてしまったのが理由であります。

はい、きました。「映画は技術じゃねえ、ハートなんだ! どう伝えるかよりも、何を伝えるかなんだよ馬鹿野郎ッ!!!」的な、ストーリー至上主義者のオナニータイムがやってきたようにも思われます。でも、どうか誤解なさらないでほしい。「お話(テーマ)vs技術」という二元論が成り立つかどうかさえ、そもそも疑わしいことは承知の上で敢えて言うと、確かにオレもどちらかというと「お話」を重視する派(?)です。これは個人的な性格も多分に関係しそうだけど、技巧的な面よりもストーリーにのめり込めるかどうか、細かいことよりも直感的に面白いと思えるかどうかを映画では重視している気がする。ただ、だからといってテクニックなんてなくていいとはもちろん思っておらず、そりゃ最低限度のテクニックが無ければ、いくら自分好みのお話であっても、ちいとも面白いと思わないと思う。

つまり、伝えようとするメッセージはそれを伝えるだけの技術が無ければきちんと届かないし、ただの独りよがりで終わってしまうのではないかしらとは分かっているつもりです。それに、技術が達者であればあるほど、伝える手段が豊富であればあるほど、自分の言いたいことは相手によく届くということも。いくらすげえ設定を思いついたとしても、まともな日本語を知らなければすげえ本は書けないし、いくら素敵なメロディーを思いついても、ドレミファを正しく弾けなければ素敵な曲は演奏できない。

そして、その逆、すなわち、いくら技術が素晴らしいものであっても、それがなんのためにあるのか、その技術が伝えようとするもの、表現しようとしているものが何なのかもまた、オレにとっては重要なところです。

『アバター』を観ている最中、あるいは観終わったあと、なんで自分はいまいちスッキリしないのかなあと一人でモヤモヤしてました。なんだかすごい映像を観たという気は確実にするものの、それが「映画」として面白かったかというと、どうもストンと落ちてこない。でも、こうやって書いていて、少しずつ自分で分かってきたような気がしてきたよ。この映画は、すさまじい映像技術と(オレが勝手に重視する)主題との間に落差がありすぎる。そのギャップばかりが目についてしまったのが、オレ様の不評を買っているいちばんの理由ではなかろうかと。

もちろん、この映画が伝えんとする壮大かつ深遠なるところを、僕ちゃんが単に読み取れていないだけという疑いはきわめて濃厚です。読解力の無さには定評あり(キリッ)。そういう前提で以下を読んでほしいんです(予防線敷設終了)けど、この映画が最新の映像技術を使いまくって表現しようとするテーマが、もうどうにも旧来の「異文化理解を大切に」だとか、「生態系を守ろう」だとかいうお説教じみたものに感じられてしまって、オレはなんで寒いなか豊洲にまで来て立体的に叱られているんだろうという感じです。なぜジブリみたいな、いっつも日テレでゴールデンタイムにやってるような話なのかな。なぜもっとワクワクするような、あるいは胸がギュッとするようなテーマではないのかな。なぜ、下半身不随となった主人公が意のままに操れる分身を手に入れて、現実の体ではなし得ない「仮の自由」と生身の体との板ばさみで苦悩する様がメインで描かれるのではないのかな、と…。
もう、こんなんだったら、上述の『ターミネーター4』みたいに、別に無理して難しいこと言おうとしないでただひたすらエンターテインメントに徹すればいいのに。あれ? さっきオレは「いくら技術がすごくても表現したいものがないとダメ!!」って言ってたような。気のせい気のせい。

ここまで書いてハッキリと悟りました。こりゃ完全に好みの問題です。ゲッヘッへ。自分が気に入らなかった映画をこき下ろすオナニー記事に長々とお付き合いいただき、ありがとうございました。そこのティッシュ取ってー。