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いっちょ、ルノワってきた [アート的なアレ]

「マタ、タダケン、ニマイアル。オマエ、イクカ」とのお誘いを受け、東京・六本木の国立新美術館に『ルノワール-伝統と革新』(東京では4月5日まで)を見に行ってきました。

SN3K0608.JPGルノワールと言えば…ルノワールだから…なんだろう…。印象派?でも印象派って正確に言うとなんだ?なんか、少女とか睡蓮だとかを描いたホンワカしたやつ?
という程度の知識しか例によってオレにはありませんでしたが、会場にはおそらく自分と同レベルの人たちがわんさかいたので安心。なにこの見下した感じ。とりあえず、『ハプスブルグ展』(過去ログ宣伝厨)のときと同じくらいの盛況っぷりで、大勢の人がぞろぞろと作品の前で行列しておりました。

率直に言うと、この展覧会を観る前と後とで、ルノワールの印象はさして変わりませんでしたし、衝撃を受けた、あるいは感銘を受けた絵というのもこれといってありませんでした。理由はもちろん例によってオレの目が節穴すぎるから。

ただ、収穫が二つありやんした。一つ目は、ある有名な画家の絵を一枚だけ見るのと、それがたとえ同じような絵であろうとも、生涯を通じて作品を見ていくのとでは、やっぱり後者のほうがいいなあということが実感できた点。というのも、たとえばルノワールはオレの中では「ボンヤリした絵の人」なんですけど、それがある時期から急にそうなったのか、それとも、いろいろな技法をマスターした上であえてその描き方を選んだのか、あるいは生涯ずーっとそのスタイルを貫き続けたのか…、それが分かるっていうのは、とても楽しい。「この人はやっぱりいろんな描き方が出来てぜんぶ上手いのに、あえてこういうやり方なんだな。なるほどー」っていう素朴な楽しさ。ていうか、難しい美術のことが分からないから、そうやって面白みを見つけるしかないッ!

今回のブツそして次にあげるのは、オレ固有の特殊事情かもしれません。
ルノワールであれピカソであれ、はたまた画家でなくともその人(や物)が有名であればあるほど、自分の中で「ああ、ルノワールね。はいはい」って、自分の目で確かめたこともないのに分かった気になってしまう傾向があって、そんな怠慢(?)を正してくれる一つのきっかけに、こういう催しものがなるのかもしれないと改めて分かった点。これが収穫の二つめです。

自分の好きな本の一つ、山形浩生という人の『新教養主義宣言』のまえがきの部分で、「自分の身の回りにあることは、すべてなんらかの意味がある。だから、適当に分かった気になるなよおまえら。あと、最初から知ることを諦めるのもダメだ」みたいな一節(かなり大ざっぱな要約だけど)があって、初めて読んだとき、それに軽く衝撃を覚えました。別にルノワール自体にそれほど興味がなくても、時を経てもこれだけ評価されているということは、そこに何かしらの意味があるのだろうし、そこを素通りするのはもったいない。そんなことをチラッと思ったべさ。ただ、その「何かしらの意味」とは…もちろん分かりません。

SN3K0611.JPG以前この美術館に来たときは気づかなかったのだけど、地下には、かのヤコブセン作「エッグチェア」「スワンチェア」が休憩用に用意されとりました。そして、1階にはウェグナーの椅子もどっさり。ひゃっほーい。

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