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おおーさーまーはー はーだーかーじゃないーかー [読んだ本 / 好きな文章]

自分の好きな文章を無断で紹介しつつ、「オレちょっとは真面目な本だって読んだことあるんだぜ」アピールをするコーナー。実際のところは、読書どころか夜な夜なXboxの殺人オンラインゲームに熱中してます。それと、なんべんでも言いますけど、"○○のコーナー"というのは、はてなダイアリー「おれはおまえのパパじゃない」をマネっこしています。

 以前、漠然と、アンデルセンの「裸の王様」というのはよその国からきた巧妙な詐欺師にだまされて、裸のまま街に出た王様の話だと思っていました。裸だというのはみんな分かっているのに、それをいうとまずいと街の人々が黙っていると、一人の男の子が「王様は裸だ」といったため、王様は裸だということが街のみんなにバレてしまうのだと思っていたのです。

 でも、これは、そうじゃないんですね。
 この童話では、王様が裸だということは、一人一人には、そう見えているのですが、そのみんながみんな、そう見えているのは自分にばかりで、ほかの人間には服が見えていると思っているため、そのことを人には黙っているのです。そういうことがあるため、一人の男の子が「王様は裸だ」というと、その声があっというまにひろがり、王様もそれを聞いて、具合が悪い思いをするという話なのです。

 この話からこういうことがわかります。見えているということと、わかっているということとは、違うんですね。一人一人の人に裸が見えているのですが、それが自分にしか見えていないと思うと、その見えているということにいわば自分の承認が与えられない。オレのほうがおかしいのかな、と思ってしまう。すると、その見えていることは見えているという知覚にとどまって、その人の了解にならないのです。わかるということには、見えているという知覚だけではなく、他の人にもそう見えているはずだという了解が入っているのです。

加藤典洋 『日本の無思想』

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